劇場版「鬼滅の刃」 無限城編 第一章 猗窩座再来を鑑賞して|上社しまだ歯科|名古屋市名東区の歯医者

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劇場版「鬼滅の刃」 無限城編 第一章 猗窩座再来を鑑賞して

こんにちは、院長の島田です。
色々と忙しくてお久しぶりの投稿となってしまいました。

10月となり、朝の空気が気持ちよくなってきた今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
秋の青空はなぜあんなにキレイなのだろう?

私は、蒸し暑い朝から解放された嬉しさから、最近は5時におきて、やや薄暗い中、ワンちゃんたちの散歩に出かけるのが日課となっております。

『真夏の果実』が心にしみわたる季節は終わりを告げ、秋にしみる歌と言えば?
そう、ケツメイシの『バラード』ですね。なかなか切なく、感動する歌ですよね。
そしてカラオケで歌うと気持ちいい。
とくに、大サビが気持ちいい。
「電話をきると静寂の雨~」のところが特にいい。

そう、秋はとにかく、

切なくなりたい!
感動したい!
センチメンタルな気分になって憂鬱になりたい!
カラオケにいきたい!

そんな季節ですので、先日、ついに鬼滅の刃の映画を鑑賞してきました。

グッときたのは猗窩座が鬼になる前、人間だったころ、『狛治』だったころの話。

病弱な父親の薬を買うため、少年だった狛治は町中でスリをはたらき、お金を作ります。その中ではもちろん、大人に殴られたり危険な目にあうことも…。それでも父親を救うため、スリを続ける狛治は、何度も捕まり、その都度、罪人としての入れ墨を腕に施されていました。

息子の犯罪に胸を痛めた父はついに、自責の念から自ら命を絶ってしまいます。
父を救うために行動していたにも関わらず、結果として父を追いつめ死を早めてしまうこととなるのでした。

その後、自暴自棄となった狛治は喧嘩に明け暮れます。そこで一人の男と出会います。子供ながらに素手で大人7人を蹴散らした狛治の実力に目をつけたその男は、狛治を自身の道場に誘います。苛立っていた狛治は男に殴りかかったが、逆に返り討ちにあい、気絶します。

目を覚ました狛治は男の道場にいました。常時穏やかな表情を浮かべる男は『慶蔵』と名乗り、「素流」と言う体術の道場を営んでいること、娘が病弱であり、妻は看病疲れで自ら命と絶ったことを狛治に語り、生活費を稼ぐために用心棒などの仕事をしており、家を空けがちな自分の代わりに、その娘を看病してほしいと、狛治に頼みます。

そして狛治は慶蔵の娘、『恋雪』と出会います。
それからの狛治は慶蔵の門弟となり、恋雪の看病と慶蔵との稽古をを繰り返す日々。
もともと、父の世話をしていた狛治にとって看病は苦ではなく、寧ろ稽古と合わせ、穏やかな日常は狛治の心を癒し、恋雪にとっても狛治の何気ない言葉や行動が救いになっていました。

狛治が18歳になった頃には恋雪の体調は安定し、普通の生活ができるようになっていました。
そんな折、狛治は慶蔵に呼び出されます。
「この道場を継いでくれないか?狛治。恋雪もお前のことを好きだと言っているし。」
「は?」

慶蔵の言葉に目を丸くしてぽかんとする狛治。顔を赤らめる恋雪。

狛治は、罪人の入れ墨がはいっている自身の未来をうまく想像することができませんでした。ましてや誰かが乱暴者の自分を好いてくれる未来なんて尚更でありました。

やり直せるかもしれない、と希望で胸がいっぱいになり、狛治はこの2人を「命に代えても守りたい」と思います。

しかし、別れは突然やってきます。

慶蔵のことをおもしろく思わない集団により、井戸に毒を入れられ、慶蔵と恋雪は毒殺されてしまいます。
復讐の鬼と化した狛治は単身で襲撃。素手で67人を惨殺してしまいます。

その後、あてもなく夜道を徘徊する狛治は、鬼の始祖、『鬼舞辻無残』と出会います。
全てを失い、生きる事の価値と意味となくした狛治は鬼に変貌してしまいます。
鬼に変貌した後は、無慈悲に罪のない人間たちを食らいながら、ひたすらに己の肉体的強さを追求する道を進んでいくとうストーリー。


なんと悲しき物語…。


何をやってもうまくいかない…。
すべてが裏目にでてしまう…。
泣きっ面に蜂…。
天国から地獄につきおとされた…。


皆さま、そんなことは何度も経験済みでしょうか?


もういいや、全部やめちまおう、と自暴自棄になる感覚も共感できる部分がありますよね。


なんか、『三井寿』のストーリーと似ていますよね。
だから、猗窩座ファンが多いのかもしれません。
三井寿ファン=猗窩座ファンと断言してよいでしょう。


「利他」的であった人が、「利己」的な人になってしまうのはこのような時なのかもしれません。


狛治は、元来、「利他」の心を持った人でした。
手段が適切ではありませんでしたが、父のためを思い、リスクを背負ってスリをはたらき、恋雪には何の見返りも求めず看病を何年もつづけます。
平均的な人よりも、はるかに「利他」的な性格と言えるでしょう。

一方、鬼になった後、つまり「猗窩座」になってからは、手段を選ばず、自分が強くなることのみを目的とした行動をとり、究極的に「利己」的な性格となってしまいます。

その真反対の存在として描かれているのが『煉獄杏寿郎』。幼い頃に死別した母の教えを忠実に守り、自らの命を「利他」に捧げた生涯でした。

自身が遥か昔に捨て去ったものを、強く持ち続けて生きる煉獄杏寿郎は、猗窩座にはまぶしすぎたのかもしれません。ゆえに、強く興味を持ち、そして強く憎んだのでしょう。


ストーリーが深すぎる…


実は、「自分が幸せになる」ことを実現させるのは結構簡単だと思います。
ひたすら利己的になれば良い。それだけです。
ただ、その幸せは長くはつづきません。むしろ一瞬です。

何か成し遂げたいものがあり、努力、行動して成功したとしましょう。
しかし、その過程が利己的なものであれば、その成功をともに喜んでくれる人はいません。
「自分だけがうれしい状況」、その先には、虚無感しかありません。


あれは、私が人気サッカーゲームのウイニングイレブンにハマっていた頃。約十数年前のお話。
自分が手塩にかけて育てた選手たちからなるクラブチームが、国内リーグ戦、国内カップ戦、チャンピオンズリーグの3冠に王手をかけていた、チャンピオンズリーグ決勝。


手に汗を握りながらコントローラーを握りしめる私。
ついに歓喜の瞬間を迎え、深夜に雄たけびをあげる私。
「っしゃー!!勝ったー!!」


和室からこちらに冷たい視線を送る妻。
なかなか泣き止まない娘を抱っこしている妻。


俺は一体なにをやっているんだ…。
ゲームで3冠しても、なんの金にもならないし、深夜に雄たけびは近所迷惑…
My honeyがイライラしているぜ…
やっちまった…


ね、利己的な過程でつかんだ幸せは、虚像なのです。


今年で39歳。80歳まで生きると考えても人生の折り返し地点です。
残りの半分をいかに「利他」的に生きられるか。
いつか自らの死に向き合うことになった時、自分の生涯に対する満足度、充実感、達成感に大きく影響してくるのでしょう。


そんなことを考え始めると、鑑賞後の数日間は、映画の世界から抜け出せずフワフワしていました。


そう、この感覚は、恋愛リアリティーショー「ラブ トランジット シーズン1」最終話をみて以来、約1年ぶりの感覚でした。

ちなみに、今月16日から「ラブ トランジット シーズン3」の配信が始まります!
めっちゃ楽しみー。


ではまた!!